財産分与請求権の歴史

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 財産分与は、夫婦で築き上げた財産を離婚のときに2分の1にする制度だ、と説明されることが多くあります。私も、財産分与は2分の1が原則です、とご説明をしていますので、この理解は現在ではおおむね正解です。

 しかし、財産分与は、当初から2分の1だったわけではありません。

 そこで、財産分与のルールについて、明治から戦後までの経緯を見てみたいと思います。

 以下の記述は、『親族法』我妻栄著の記載を参考にしています。一般の方にご説明すると、亡我妻栄先生は、戦後の民法学に極めて多大な影響を与えた方で、少なくとも私の世代の弁護士であれば、名前を知らない方はいないと思います。

戦前の民法における財産分与の性質

財産分与の規定

 ご存じのとおり、戦前は日本は家制度を取っており、戸主(ほぼ男性がなります)のもとで、女性の地位は非常に低い時代があり、夫婦共同生活の財産的責任は夫とされていました。

 その影響からか、離婚に伴う夫婦共有財産の清算に関しては何ら規定が置かれず、離婚した場合には、妻は何らの財産を取得することができないという制度でした。

裁判所の対応

 このような制度だと、仮に夫が虐待などをして、やむを得ず離婚となった場合でも、妻は財産を取得できず、生活が困ってしまうという状況になってしまいます。

 そのため、裁判所(大審院)は、慰謝料を請求できると判断し、またこの場合に妻の生活状況を考慮して、夫婦共有財産の清算と扶養料の請求という役割を果たしていたようです。

戦後の改正

 戦後は、最終的には

前項の場合には、家庭裁判所は、当事者双方がその協力によって得た財産の額その他一切の事情を考慮して、分与をさせるべきかどうか並びに分与の額及び方法を定める。

民法768条3項)

という規定になりました。

 これだけでは、ポイントが分かりづらいと思いますので、当初の改正案と比較してみます。

 当初の改正案では、

 「離婚したる者の一方は、相手方に対し、相当の生計を維持するに足るべき財産の分与を請求することを得る」

や、その額を決定する基準として、

当事者双方の資力その他一切の事情を斟酌して」

という案だったようです。

 見ていただくと、「生計を維持する」という部分と、「当事者双方の資力…」の部分が大きく変わっていることがご理解いただけると思います。

 この改正により、扶養という性質は維持しながらも、離婚による財産分与に関しては、「その協力によって得た財産」、今でいう夫婦が協力して築いた財産を清算する制度としての性質が強くなったことがご理解いただけると思います。

 最高裁判所も、財産分与の目的について、以下のとおり判断しています。

 離婚における財産分与の制度は、夫婦が婚姻中に有していた実質上共同の財産を清算分配し、かつ、離婚後における一方の当事者の生計の維持をはかることを目的とするもの…

最高裁判所第2小法廷 昭和43年(オ)第142号 慰藉料請求事件 

 現在では、財産分与の性質としては、夫婦共有財産の清算という側面が強調されるようになってきましたが、歴史的には、このような経緯があります。

まとめ

 普段意識することのない部分ですが、色々と調べてみると、興味深い面がたくさんあると感じます。

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