明治時代の一夫多妻制

この記事を読むのに必要な時間は約 3 分です。

 不倫に関する事件を行う弁護士として,日本における不倫を含む婚姻関係についての歴史は木になるところです。そこで,興味を持って,いろいろ調べてみたところ,明治時代,一時期,日本でも一夫多妻制が取られていたようです。

一夫一妻制と一夫多妻制

 今,日本では,結婚は男女が一対一でするものです。これを,一夫一妻制といいます。これに対して,夫が複数の女性と婚姻関係を結べる制度を,一夫多妻制といいます。

 なぜ男性だけが複数の女性と婚姻関係を結べるのか,ジェンダーの観点から色々な議論はありますが,今回はこの点には立ち入りません。

江戸時代の妾の存在

 江戸時代の武家社会においては,後継の男子を作るため,男性が妾を持つことは容認されていたようです。これに対し,結婚していない相手との性的関係は厳しく制限されていたようです。

 なお,これに対して,村の社会においては,逆に,そこまで厳しくなかったようです。

明治における妾制度の残存

 明治時代においても,当初,妾制度は残存しており,明治3年に制定された新律綱領において,妾も親族として認められていたとのことです。

新律綱領の規定について

 そうなると,根拠となる条文を確認したくなるのが弁護士のサガです。そこで,新律綱領の条文が無いか調べてみたところ,国立国会図書館デジタルコレクションで,デジタル化されていて,誰でも閲覧できるようになっていました。気になる方はこちら(新律綱領)ご参照ください。

 ここで,新律綱領とは何か,簡単に説明すると,明治政府によって定められた刑法典です。その冒頭は,以下のように記されています。原文縦書きなのと,漢字を現代書体に置き換えるなどしておりますので,正確には原典を参照ください。

朕刑部ニ勅シテ律書ヲ改撰セシム乃チ綱領六巻ヲ奏進ス朕在廷諸臣ト議シ以テ頒布ヲ允ス内外有司其之ヲ遵守セヨ

新律綱領冒頭

 その二親等のところに,妻妾という記載があります。何の説明も柱書もなく,二親等という枠の中に,妻妾という記載が,そのほかの親族と合わせて列挙されているのみです。

 なお,夫は一親等のところにあるので,夫婦の親等に関する考え方も,今と異なるようです。

 なぜ新律綱領に,親等について定めがあるのか,推測ですが,いわゆる「親族相盗」に関する規定があるため,刑罰のため,親等について明確にしておく必要があったことも一つの理由かと思います。

民法制定による廃止

 しかし,明治民法が制定された際に,妾は禁止となりました。(正確には、まず刑法改正がされ、その後に法律上の「妾」という文言自体さくじょされましたが、戸籍に登録された妾は戸籍法改正までその身分を維持していた、ということのようです)

 禁止された背景には、当時の先進国であった欧米で一夫一妻制が導入されていたため、妾制度は遅れた制度で近代化に不適切だ、という考え方があったようです。