離婚事件を通じて感じた、人の心理と事実認定

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 以下は、私が個人的に思っている、人の心理と事実認定について、です。

 裁判や調停における証拠の役割にも触れますが、どちらかといえば、弁護士や裁判官の事実認定が、日常の生活の考え方とどのように違うのか、という点が中心です。

友人の夫婦生活での愚痴を聞くとき、話を疑うことはまずないでしょう。

 最近、離婚に関するご依頼を通じて、色々と思うところがありました。

 わかりやすい例でいえば、仕事と全く無関係の友人と話をするとき、友人が夫婦生活の愚痴(配偶者の愚痴)を話し始めたら、何の疑いもなく、共感すると思います。

 そんな悪い人には見えないけど…とは思うかもしれませんが、友人の話が本当かと疑うことは、まずないといえます。

裁判所は、供述が信用できるか、という点を非常に重視します。

 これに対して、裁判では、人の話(当事者の話)は、何の疑いもなく受け入れられる、ということはないといえます。

 しばしば、相手の言い分とこちらの言い分が全く正反対になることもあり、単純に考えると、どちらかが嘘をついているということにもなり得ます(実際にはこのような単純なケースは少ないといえますが。)

 実際に、裁判所は、(特に認定事実と異なる供述については、)必要があれば判決文で言い分が信用できる・できないと判断した理由を説明します。

人の話をまずは受け入れる人間の心理?

 一般には、友人や知人の話を聞いて、これがほんとかウソか資料を見せてもらう、ということはしないのではないかと思います。

 理屈をつければ、自分にかかわりがないことであるため、事実でもそうでなくても構わないからわざわざ確認しない、というとらえ方もできるかもしれませんが、そのことを超える、人が話したことは、一旦は事実と何となく理解する、疑いなく受け入れる、という心理が働いている気がします。

裁判所はどうか

 裁判所は、このような心理と無関係に、裁判を進め、事実を認定するかというと、必ずしもそのような単純な話ではないかもしれません。

 裁判における事実認定については、大枠としての考え方があり、これに従って判断する場合、人の話は、いわば一つのストーリーとしてとらえられるもので、その語られた内容だけで、事実かどうかを判断されることはありません。

 ただし、やはり、直接当事者から聞き取りをした経験があると、その内容に強い影響を受けることは否定できないと思われます。

 裁判官は、事実認定の専門家でもあるため、影響を受ける度合いは少ないといえますが、裁判官以外については、影響を受けることもやむを得ないといえるでしょう。

単純化した構図

 もう少し枠組みを明確にすると、日常生活で、事実だと思うまでのプロセスと、裁判所での事実認定は、以下のような違いがあるといえます。

日常生活での事実と思うまでのプロセス

 人から話を聞く→事実だと思う。

 突き詰めると、このことにつきます。

 では、事実だと思ったことと整合しないものが出てきたらどうでしょう。

 心理学では、確証バイアスと呼ばれるようですが、自分の考えに都合の良い事実に目がいき、都合の悪い事実には目を背ける、ということが生じます。

裁判での事実認定のプロセス

 一般のご説明のために、きわめて単純化すると、以下のとおりといえます。

 物的証拠から、動かしがたい事実を確定する。

 動かしがたい事実を踏まえ、人の話を聞いて、事実かどうか判断する。

この違いが明確になるとき

 しばしば、裁判になると、相手は話が上手いから、裁判所が相手の話を信じるのではないかと心配、というご相談を受けます。

 その際は、私は、話が上手い方を信用するわけではないとご説明し、納得していただきます。

 この点を整理すると、上記のような構図、つまり日常生活での事実認定と、裁判での事実認定とのプロセスの違いが背景にあるといえます。

裁判への影響

 とはいえ、裁判所でも、当事者の主張に引っ張られる形で、必ずしも十分に証拠の吟味がされていないケースはしばしばあります。

 このようなことが生じないように、裁判所にまずはわかりやすい主張(ストーリー)を提示するかも、弁護士の技術といえます。

まとめ

 とりとめもない話題ですが、たまに思うことがありましたので、個人的な思考の整理として、ブログに記載しております。

以上