孔子廟訴訟の最高裁判決

この記事を読むのに必要な時間は約 4 分です。

 令和3年2月25日、那覇市が公園内の敷地を、孔子廟を設けるために無償で提供していた件について、最高裁判所は、政教分離の原則に照らして違憲であるの判決をしました。

 裁判所ホームページに判決文が掲載されておりますので、こちらについての個人的な感想を述べます。

 個人的な感想であり、特定の思想や学説を支持するものではございませんので、ご了承ください。

 また、記載に当たっては、反対意見の指摘をかなり参考にしています。

孔子と儒教

孔子に対するイメージ

 孔子と聞いて、一般の方はどのように感じるでしょうか。

 『論語』という書物で有名で、論語を題材にしたビジネス書を読まれたことのある方も多いと思います。

 また、漢文の授業等で、論語を学んだことも少なくないでしょう。

 「己の欲せざるところを人に施すことなかれ」のような有名な一節も孔子です。

 東京都にお住まいで大学受験をされた方であれば、湯島にある湯島天神(学問の神様)へ合格祈願をされた方も多いと思いますが、その近くには孔子を祭っている湯島聖堂があり、こちらも受験生に親しまれています。

日本における孔子(儒教)の受容

 私たち日本人にとっては、儒教が宗教である、という意識はあまり強くないということです。他の主要な宗教を挙げれば、いくつか特徴を述べること(誰を祀っているのか、どういった考え方なのか)を挙げることは簡単ですが、儒教の特徴は?と聞かれてもピンとこないのではないかと思います。

 これは、儒教が日本においては、どちらかと言えば学問、教養という観点から受容されてきた、ということが理由のようです。

 特に、孔子の論語は、現在は道徳やビジネスの文脈で用いられることが多く、その宗教性を意識することは少ないため、私も、この事件の名前を初めて聞いた際には、孔子って宗教?と疑問が浮かびました。

 そもそも日本における宗教の位置づけは難しい問題がありますが、その中でも儒教は特に、その宗教性が薄いと思われます。

久米三十六姓について

 私は詳しくないため、事実誤認等があったら申し訳ないですが、本件は、「孔子廟事件」と呼ばれます。

 歴史の始まりは、1392年以降、琉球に来た久米三十六姓と呼ばれる職能集団であり、その方々の子孫(当時なので、もともと儒教思想の方だったようですが、)が孔子廟を建てたのは1671年頃のようです。

 孔子を祀っているのは事実ですが、歴史的経緯からすると、久米三十六姓という歴史的な面が主であるともいえると思われ、歴史研究や学術研究という面も強く持つことは、上記経緯から伺える事情です。

 この点は、反対意見でも以下のように指摘されています。

久米三十六姓の末えいの血縁集団の連合体として,戦後の歴史・社会状況の変化の中で,他の門中と同様,祖先の事績を偲びつつ,集団の絆を維持強化しようとするものと評価できるのではないか。

令和元年(行ツ)第222号,同年(行ヒ)第262号 孔子廟事件反対意見

とはいえ儒教という宗教

 上記からすると、孔子の日本での需要のされ方と合わせ、政教分離違反という問題設定が、裁判所の問題設定として適切であったのか疑問が残ると思います。

 とはいえ、儒教の創始者であり、世俗化しているとはいえ、宗教上の色彩を帯びるのは事実です。

 また、日本における宗教の受容のされ方からすれば、世俗化していると認定してしまうと、その外延は不明確なものとなりかねません。

 政教分離の在り方としてどのようなあり方が望ましいか、という問題にもなりますが、かなり世俗化した受容のされ方をしているとはいえ、宗教上の性質を強く有する建物のための無償の土地の貸与という外形的な部分を重視し、政教分離原則に違反するという判断はあり得るものといえます。

公金の支出の問題

 今回、違憲となった背景として年間500万円以上の使用料の免除が、高額に過ぎた、という点は上げられると思います。

 訴訟の経緯はわかりませんが、孔子と政教分離について触れず、公金支出の裁量処分違反として取り扱う可能性は十分にあったのかもしれません。反対意見でも、金額について違和感を覚えると指摘されています。

 先ほど指摘したように、孔子廟というよりも久米三十六姓という血縁集団の連合体という性質のものだとした場合には、同様に特定の集団のみに多額の援助をするという性質が問題になってくると思います。

まとめ

 最高裁判決について、極めて個人的な感想をまとめました。個人的には、大学受験の際に湯島聖堂へ合格祈願へ行ったり、ビジネス書として論語の解説本などを読んだ身としては、孔子は宗教ではないという考えに強い共感を覚えますが、公金支出という点からすれば、やむを得ない判決と考えております。