森鴎外「舞姫」を久しぶりに読んでみた。

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 最近、昔に読んだ小説を読みなおすのがマイブームとなっています。

 そこで、高校教科書に載っていた、「舞姫」を読んでみました。高校の授業で扱って以来なので、20年ぶりです。

一読して思ったこと

 あらすじは繰り返しませんが、内容をほぼ覚えていなかったので、こんな衝撃的な小説だったか!というのが第一印象です。

 私の記憶にあったのは、ドイツに留学した学生が、現地の女性(エリス)と恋に落ちる、程度だったので、最後の結末に驚きました。

 妊娠させて、優柔不断で、結局捨てて日本に帰ってくるので、一言で言ってしまえば非常に酷い主人公といえます。

近代的自我の芽生えと葛藤、それとエリスとの恋愛の関係

 その上で、この小説をどのように読むのか、小説のテーマを考えてみます。

 一般には、この小説のテーマは、近代的自我の芽生えや葛藤を描いているといわれています。

 小説内で、そのことを示唆する部分は、主人公の心境の変化として明確に指摘されています。

 また、当時の時代背景(明治初期で、西欧に追いつくことが国家としての命題で、文学なども、近代化の影響を強く受ける時期だった)からも、これがテーマであり、その芽生えや葛藤を欠いているという解釈は、間違いないのだと思います。

 その上で、上記テーマと、「舞姫」で描かれる恋愛は、近代的自我の象徴であり、国家の対としておかれ、最終的にエリスを捨てて帰ることが、それと対置される。恋愛=エリスではなく、国家をとるという視点で、いわば封建制の顕れ、近代的自我の挫折であるという見方をされます。

 この見解は、非常に明快ですが、これから説明するように、エリスと主人公の関係は、近代的自我としての恋愛とみるには、物足りない部分が多いと思います。

エリスとの恋愛は、近代的自我の象徴とみることができるか。

 それでは、エリスとの恋愛についてみていきます。

 エリスは、「舞姫」、劇場の踊り子で、社会的地位は高いとはいえません。出会いの場面は、父の葬儀の費用が出せず困っているシーンです。交流が問題視される身分で、交際を理由として主人公は職を解かれています。

 その後の関係は、確かに主人公がエリスに対して「愛」を持っているとが描かれる部分もありますが、関係を持つに至った経緯の描写を除き、主人公がエリスに対して愛を感じていると読む描写はほとんどないように感じます。

 一方で、ロシアに滞在している主人公は、「エリスを忘れざりき、否、彼は日毎に書を寄せしかばえ忘れざりき」と、妊娠してるエリスを心配で忘れない、といった描写は見られません。

 ロシアから帰ってエリスと会った場面で、故郷や出世を求める心より愛情がまさったことが描かれますが、にもかかわらず、それに続く、エリスが出産の準備を進め嬉しそうにしているシーンで、主人公のエリスに対する愛情が分かる描写は奇妙に感じるほどなく、妊娠、出産に戸惑いを覚えている様子と思われます。

 実際、主人公は、妊娠が発覚したシーンでも、妊娠を喜ぶでも、エリスを気遣うでもなく、自己の今後を戸惑う様子が描かれています。

エリスに対する真実の愛?

 むしろ、エリスと主人公の関係、もう少し正確に言えば主人公がエリスに向けている思いは、真実の愛と呼べるのでしょうか。

 小説の構造として、主人公の母が亡くなり、その前後で、主人公とエリスとの関係が、「師弟」から変化しており、母の死を悲しむ主人公を慰め、関係を築いています。

 その後の関係も、エリスの行動を「かわゆき独り子を出し遣る母もかくは心を用いじ」と表現しており、その後の主人公の、エリスに対して自分の今後について話ができないまま、会えば愛情を感じる描写は、成り行きに任せて関係を継続する様子であり、愛情があったのは間違いないにしても、真実の愛に思い悩む青年の心理としては、説明ができないのではないかと感じています。

 一方では、主人公とエリスとの関係は、主人公がエリスに対して与える関係として描かれています。出会いのきっかけや、その後の生活の面倒など、一連の主人公のエリスに対する行動は、いわば父としての行動としてみられるかと思います。

個人的な感想

 主人公のエリスに対する一連の行動は、最後のシーンまで含め、真実の愛との間で葛藤に揺れたのではなく、ただ留学先で困っている女性を助け、そのまま恋に落ち交際を続けたが、妊娠や自分の仕事の都合もあり、関係に戸惑っている、という印象でした。

 実際、主人公は、自分でエリスに今後について告げたわけですらなく、エリスが錯乱してしまったのち、お金を渡して帰国してしまいます。そして、最後の1行に、エリスに関係を告げた相沢に対して、「彼を憎むこころ今日までものこりけり」と恨み言を書いています。

 また、近代的自我がどの程度芽生えていたのか、も気になるところです。

 交際が発覚したとき、主人公がドイツから日本に帰らなかったのは、「このままにて郷にかえらば、学成らずして汚名を負いたる身の浮ぶ瀨あらじ」であるためであり、学資を得られるめどが立ったために残っています。しかも、この記載は、エリスと関係を持った直後に描写されています。

 主人公が、エリスとの生活で新聞の原稿を書いているくだりも、「我学問は荒みぬ」といいつつ、同郷の留学生に対して、「彼等の仲間には独逸新聞の社説をだに善くはえ読まぬがあるに」と、同郷の留学生に対するコンプレックスが読み取れると思います。

 主人公は「独立の思想」といいますが、その具体的な内容は有りません。ただ、しかれたレールに載っていないというだけで、その実は、上記のようなコンプレックスに支配され、相沢からの日本に戻る誘いに躊躇していません。

 結局、主人公が、「独立の思想」と感じ、「まことの我」と思ったことは、全て抽象的なものにすぎず、初めから最後まで、「所動的」「器械的」な人間であった、というのが、この小説のテーマだったのかなと、思います。

最後に

 私が、舞姫を20年ぶりに読んで感じた思いは以上です。少し誤読もあると思われますが、文学を専門にしていない者の個人的な感想ですので、ご容赦ください。

 なお、舞姫は、森鴎外のドイツでの体験をもとに執筆され、エリスのモデルとなった女性が来日したらしく、この文脈を踏まえた解釈もされていますが、私は、小説は著者の経験と切り離して解釈した方がいいと考えており、敢えて触れていませんので、こちらもご容赦ください。