論理的な文章とは何か──弁護士の視点から考える

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ビジネス文書や小論文など、さまざまな場面で「論理的な文章」が望ましいとされます。そして、それを指南する書籍や記事も数多く存在します。しかし実際のところ、そうした「論理的」とされる文章自体が、本当に論理的かというと、少し疑問を感じることもあります。私自身、弁護士として日常的に文章を書いていますが、いわゆる「論理的な文章」に当てはまらない文書を書くこともしばしばです。

本稿では、巷でいわれる「論理的な文章」が何を意味しているのかを整理したうえで、それが説明手法としてどこまで有効なのか、弁護士の視点から考察します。


「論理的な文章」とは何を指すのか

まず、「論理的な文章」といったときに、実はその想定しているものが文脈によって異なることに注意が必要です。

法律実務における「論理的な文章」

弁護士にとって「論理的」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、いわゆる法的三段論法に則った構成です。

  • 大前提(法律の規範)
  • 小前提(事実の認定)
  • 結論(法的評価)

たとえば:

大前提:人を殺した者は、死刑または無期若しくは5年以上の懲役に処する(刑法199条)

小前提:Aさんは人を殺した

結論:Aさんは死刑または無期若しくは5年以上の懲役に処される

これは、司法試験や実務での法的思考の訓練において基本的な枠組みとされています。

なお、実際には事案によって、「殺した」とは何か、「人」とは何かなど、さらに法的三段論法に則って検討が必要な場合がありますが、今回は単純化しています。

ビジネスにおける「論理的な文章」

一方、ビジネス文書では次のような構造が「論理的」とされます:

  • 主張(結論)
  • 理由(しばしば、3つの理由をあげることを推奨されますね)

例:

結論:Aさんは傘を持って外出した方がよい

理由1:今日は雨の予報が出ているから

理由2:Aさんは今日、帰りが遅いから

理由3:濡れると困る書類を持ち歩くから

ビジネス文書では、読み手の理解を優先し、結論を冒頭に示したうえで簡潔に根拠を述べることが重視されます。


「論理的な文章」の多義性と注意点

「論理的な文章」という言葉には、主に2つの使われ方があるようにおもわれます:

  1. 根拠と結論の関係が明確な文章(本来的な意味)
  2. 読みやすく整理された構成の文章(ロジカルシンキング的意味)

しかし後者は、見かけの整合性に過ぎない場合もあります。ときに「論理的に見えるが実際にはそうでない」文章も存在します。たとえば、複雑な前提を隠し、あたかも一つの結論だけが導かれるように見せかけているようなものです。

このように、「論理的」といっても、その内実には揺れがあります。文章がいかにも整っているように見えても、前提が不明確であれば、それは論理的とは言えません。


法的三段論法とビジネス文書──それぞれの有効性と限界

法的三段論法が有効な場面

  • 前提の妥当性を明示的に検討したい場合
  • 一見すると納得してしまう意見について、その真偽を論理的に判断するとき
  • 規範の適用根拠を明示する必要がある場面

法的三段論法の欠点

  • 日常生活では文章が冗長になり、読みづらくなる場合
  • 前提に争いがない場面ではかえって回りくどく感じられる

ビジネス文書の「論理的構成」が有効な場面

  • 結論と根拠を端的に伝える必要がある社内報告書や提案書
  • 限られた時間や文量で説得力を持たせたいとき

ビジネス文書の「論理的構成」の欠点

  • 前提が共有されていない場合には相手に上手く伝わらない
  • 見た目のわかりやすさに惑わされ、根拠が実は論理的でないことがある(「根拠は3つある」と言いながら内容が重複・冗長している、根拠になっていない等)

両者の構造的な違い

このような多義性を踏まえると、法律実務における「論理性」と、ビジネス文書で求められる「論理性」の違いはより明確になります。

法的三段論法は、結論の正当性を保証するために前提(大前提)を明示し、それに具体的事実(小前提)を当てはめて結論を導きます。一方、ビジネス文書では、多くの前提が「共通了解」として共有されていると仮定されており、わざわざ書かれないことが多いのです。

たとえば「雨の予報が出ているなら傘を持って行った方がいい」といった前提は、多くの読者にとって説明不要な了解事項とされています。

この違いが、「読みやすさ」を重視した文章と、「正確さ」「前提の検証可能性」を重視した文章の違いに現れてくるのです。


論理的な文章は議論に役立つのか

結論の妥当性は、その前提(規範)とその適用に依存します。とりわけ法律のように前提が明文化されている分野では、議論の枠組みが明快です。しかし現実には、明文化されていない規範も多く、議論が曖昧になりやすいものです。

こうした場面では、法的三段論法の枠組みを使って、「どのような前提が置かれているのか」「その前提は妥当なのか」を明示することが、議論の質を高める助けとなります。

「口頭で一言」の世界と三段論法の世界

たとえば「今日は雨が降りそうだから傘を持っていこう」といった一言は、日常生活において極めて自然で明瞭な判断です。しかし、これを法的三段論法の形式に落とし込むと、以下のようになります:

  • 大前提:雨が降りそうな日に外出する場合は傘を持って行くのが合理的である
  • 小前提:今日は雨が降りそうで、外出の予定がある
  • 結論:今日は傘を持って行くのが合理的である

さらに、「なぜ雨が降りそうな日に傘を持つのか(濡れるのが嫌だから)」「なぜ濡れることがいやなのか(不快、風邪を引くから)」といった前提まで検証しようとすると、思考はどんどん深く、複雑化します。文章にすると極めて冗長でむしろわかりづらく言いたいことが伝わらないでしょう。

結果として、日常では一言で済む話が、法的三段論法では極めて冗長で、わかりづらいものになるという事態が生じます。

このことは、「論理的な文章」とは、常にわかりやすいものとは限らないこと、そして「厳密性」と「簡潔さ」がトレードオフの関係にあることを示しています。


おわりに──論理性とは「わかりやすさ」ではない

分かりやすい文章を書くことは、読者にとって大切な配慮であり、特にビジネスの現場では重要視される要素です。しかし、弁護士の立場からすれば、「論理的であること」と「わかりやすいこと」は同義ではありません。

法的三段論法のように、前提と結論の関係を厳密に記述する文章は、必ずしも平易で読みやすいとは限りませんが、その構造によってこそ主張の妥当性を検証可能にし、誤解の余地を減らします。

一方、ビジネス文書における「論理的構成」は読みやすさや即時の理解をもたらしますが、暗黙の前提に依存しており、十分な論証力を備えていない場合もあります。

論理的であるとは、筋道を立てて主張を構築し、その妥当性を明示可能な形で示すことです。整った構成であっても、根拠が曖昧であれば論理的とは言えません。この点を意識することが、文章の書き手としても読み手としても、思考の質を高める助けとなるはずです。

※本記事は生成AIを活用し、弁護士中村正樹の監修のもと作成しています。