ゲーム理論と弁護士業務──そして日常にも活かせる視点
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私が大学生のころは、ゲーム理論が一定のブームだった(と記憶しています)時期であり、教養学部の講義でもゲーム理論が扱われていました。正直、それまでゲーム理論という言葉を聞いたこともありませんでしたが、授業を受ける中で非常に興味深い内容だと感じていました。
弁護士になって以降も、業務の中で「あの考え方は意外と使えるな」と思う機会がたびたびあります。近年では、より直感的な「行動経済学」などの分野が注目されがちですが、そちらも含め、ゲーム理論の視点は思考の整理や戦略構築に役立つツールです。
今回は、弁護士業務との関係を出発点としながら、ゲーム理論が日常の思考や判断にも応用できるという観点でその意義を考えてみたいと思います。
ゲーム理論とは
ゲーム理論とは、人間の意思決定を「相手がいる状況」でモデル化する考え方です。最も有名な例は「囚人のジレンマ」でしょう。
囚人のジレンマ(簡略版)
共犯の容疑者AとBがそれぞれ別室で取り調べを受けています。お互いが黙秘すれば軽い罪で済みますが、どちらか一方が相手を裏切って自白すれば、自白した方は軽くなり、黙秘した方は重い刑を受けます。両方が裏切れば、それぞれに中程度の刑が課されます。
このように、相手の出方を予測し、自分の利益を最大化するための選択をする――この状況をモデル化して、戦略的な思考を分析するのがゲーム理論の基本的な枠組みです。
また、以下のような多様な変数があります:
- 意思決定を同時に行うのか、順番に行うのか
- 相互の情報は完全に共有されているのか、それとも非対称なのか
こうした変数を組み合わせて、より現実に即した状況が分析されていきます。
じゃんけんゲームも立派なモデル
ゲーム理論を直感的に理解する例として、「グリコ・チヨコレイト・パイナップル」のじゃんけん遊びがあります。じゃんけんに勝つと、「グリコ(3歩)」「チヨコレイト(6歩)」「パイナップル(6歩)」などと言いながら進んでいくという、子どもの頃によく遊んだゲームです。
このゲームでは、じゃんけんの勝敗によって進める歩数が異なります。たとえば「グー」で勝てば3歩、「チョキ」や「パー」で勝てば6歩進めるといった利得の差があります。通常のじゃんけんであれば、最適な戦略は単純に各手をランダムに(そして全体としては同じ割合、つまり3分の1ずつ)出すこと(混合戦略)です。
しかし、このゲームでは、もし相手が3分の1ずつ出してくると仮定した場合、自分が「チョキ」を出し続ければ、相手は「グー」でしか勝てず、自分は「パー」に対して勝つことができます。そしてこのゲームでは、「グー」で勝っても3歩しか進めない一方で、「チョキ」で勝てば6歩進めるため、チョキを出す側が有利となります。
当然、相手もそれを読んで出す手を変えてきますし、こちらもそれを見て戦略を再構築する必要があります。このような「相手の戦略を考慮したうえでの最適な戦略選択」という構造は、ゲーム理論の核心部分であり、非常に明快に表現されている例といえます。
こうした身近な例からも、ゲーム理論の基礎にある「相手の行動を踏まえた意思決定」という視点は、日常的に馴染み深いものであることが分かります。
弁護士業務におけるゲーム理論の応用
交渉の場面では、ゲーム理論的な思考が自然と求められます。
慰謝料請求事件を例に
たとえば、不貞慰謝料請求事件で、A(不貞慰謝料を請求する)側の弁護士がB(不貞慰謝料を請求されている)側の弁護士と交渉する場面を考えます。以下のような前提があるとしましょう:
- 不貞は実際には3年間続いていたが、これはB側しか知らず、A側は1年と認識している。
- B側は裁判を避けたく、多少多めに払ってでも早期解決を望んでいる。しかしA側はこの事情を知らない。
- 裁判になった場合、結果は双方にとって予測困難である。
このように、情報が完全に対称でない状況(=不完全情報ゲーム)において、A側の弁護士がどのような提案をするかを、B側の弁護士の情報・戦略・合理性を予測しながら行動を選択します。弁護士は、
- 裁判所での想定判断(期待値)
- 相手のリスク感覚
- 今後の交渉の流れ
などを踏まえて、交渉提案を戦略的に設計します。まさにこれは、ゲーム理論における「順次ゲーム」や「ベイジアンゲーム(不完全情報ゲーム)」の構造に当てはまります。
ゲーム理論が提供する思考の整理
このような分析は、ゲーム理論を知らずとも弁護士であれば自然に行っていることが多いでしょう。しかし、理論という枠組みに落とし込むことで、直感的な判断を明示化しやすくなります。
特に、以下のような利点があります:
- 意思決定の過程を他人と共有・説明しやすくなる
- リスクを定量化し、提案の妥当性を検討できる
- 情報の非対称性がある場合の戦略の幅が見える
また、依頼者にも「なぜこの方針で進めるのか」を説明するうえで、客観的視点を持ち込む助けになります。
ゲーム理論は日常生活にも使える
このような視点は、弁護士業務に限らず、日常生活にも応用できます。
たとえば:
- 家庭内の分担交渉(皿洗いを誰がやるか)
- ビジネスの場面での同僚とのちょっとした仕事の分配の話し合い
これらも、相手がどう出るか、自分がどう動くかを考え、結果を比較して最適な選択を目指す――という意味で、ゲーム理論的な思考に他なりません。
「相手の利得」「自分の利得」「情報の有無」「交渉回数の多寡」など、考慮すべき要素は日常にも溢れています。理論を少し意識するだけで、視野が広がり、感情的にならずに冷静な判断がしやすくなります。
おわりに──理論は現実を整理するツール
ゲーム理論のような抽象的な考え方は、必ずしも現実のすべてに当てはまるわけではありません。しかし、複雑な現実の一部を切り取り、思考のフレームとして提示してくれることで、自分自身の立ち位置や判断の根拠を明確にする助けになります。
弁護士業務でも、日常生活でも、「自分と相手がどのような前提で動いているのか」「その結果どうなるのか」を考えることが求められます。その整理に、ゲーム理論は便利な視点を与えてくれる枠組みといえるかと思います。