なぜ制度はなかなか変わらないのか。ルールと経路依存性

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 弁護士業務を行っていると、色々なルールについて、不合理であると感じることがあります。

 特に手続き的な面でこの傾向は顕著で、お客様とお話をしている際に、合理的とは言えないのですがという言葉を飲み込みつつ、このようなルールなんですとご説明する度に、早期に改善した方がいいんじゃないかと感じることは毎日のようにあります。

 なぜ、不合理なルールが改善されずに残ってしまうか、その理由について一つの説明を与えているのが、「経路依存性」と呼ばれる考え方です。

 私が学生のころはしばしば耳にした印象ですが、最近はあまり聞かなくなっているので、法制度の理解のために、私の理解としてご説明します(私の言葉で説明しており、学術的に不正確なご説明が含まれる可能性がございますが、あらかじめご容赦ください)。

経路依存性とは

経路依存性とは、「いまの選択が、過去の選択に大きく影響される現象」を指す概念です。
一度選んだ道を軌道修正することが難しくなり、合理性よりも「これまでの流れ」や「既存の仕組み」が重視される構造です。

 この話をするときに挙げられる例(そしてWikipediaでも紹介されている例)が、皆様が普段使われているパソコンのキーボードの配列(左上のキーの配置にちなんで「QWERTY配列」と呼ばれます)です。

 キーボードを初めて使う際、なぜ母音の位置がばらばらなのだろうと思った経験のある方は多いと思います。母音の配置だけを見ても、頻繁に使うAの文字が小指で押しづらい位置にあるなど、合理的とはいいがたい配置です。

 なぜこのような配置になったのかは諸説あるようですが、有力な説として、キーボードの原型であるタイプライター、しかもその初期のころ、タイプライターを押す速度が速いとアームが絡んで故障してしまうため、敢えて入力速度を下げるために配置をばらばらにしたという説があります。

 (なお、日本の方はローマ字入力を利用されることが多いと思います。タイプライターは欧米で産まれており、英字入力と若干事情は異なりますが、母音の出現頻度が高いのは共通する事情です。)

 そのような事情でキーボードの配列が決まりましたが、もちろん、敢えてその配列を利用し続ける必要はなく、また、先ほども触れたように今の環境を前提とすると合理的な配列とも言えます。

 実際、異なる配列のキーボードが考案され、実際に使われている方もいるようですが、ほとんどの方は通常パソコンを買う際についてくる一般的な配列のキーボードを使っています。

 ではなぜ、みな、わざわざ不合理なキーボードを使い続けるのか、というと、この並びのキーボードが生産され続け、利用され続け、皆がこのキーボードの配列に慣れているから、今更変えるのはデメリットという点に尽きます。

 このように、一度制度や慣習が形成されると、それに沿った投資・教育・意識が積み重なり、「変えること自体のコスト」が非常に高くなる、そしてより合理的な制度があっても、そちらに移行することはなかなか難しい、というのを説明する概念です。

社会のルールと経路依存性

経路依存性は、法律だけでなく、日常の社会慣習にも深く根づいています。
そしてその多くは、すでに合理性を失っていても、なぜか変わらずに残り続けているのです。

たとえば一つ上げるとすれば、ハンコ文化。

 日本では、契約書や行政手続で印鑑(ハンコ)を求められることが長年の慣習となってきました。
 しかし、実印であればともかく、三文判でも構わないとなれば、印鑑そのものに本人確認機能はなく、正直意味はありません。
 にもかかわらず、長く使われてきたため、押印を求める仕組みがあらゆる書式・制度に組み込まれており、「なくす」には行政・企業・国民全体の意識と実務の変革が必要となる――まさに経路依存の典型です(ご存じのとおり、最近はハンコを不要とするケースもあり、多少改善が見られました)。

法律と経路依存性

 日本の道路が「左側通行」であることも、典型的な経路依存性の例といえます(これは道路交通法の規定にあります)。
日本社会において、自動車は左側通行、というのがルールであり、これは法律によって定められています。

 なぜ車が左側通行であるかは諸説ありますが、正直、右でも左でも、どちらか一方で決まっていれば問題はないといえます。

 ではなぜ現在において左側通行であるかというと、それは過去に左側通行で形成され、これが1920年に道路取締令で明確に定められ、戦後もこれが維持されたということのようです。

 実際、(事実かはわかりませんが)第2次世界大戦後、GHQの指導でアメリカに倣って車を右側通行に変更するよう要求がされたらしいのですが、財政支出等の観点から採用されなかったようです。

 なぜ制度が変わらないかと言えば、すでに決まったルールにのっとって色々な仕組みができていて、変えるための社会的損失が大きすぎる一方で、変えることのメリットがそれに見合わないからでしょう。

 なお、沖縄では、沖縄返還に伴いそれまでアメリカ流の右側通行から日本流の左側通行に切り替わったようですが、変更には莫大なコストや一部県民からの不満も出たようです。

まとめ

「もっと効率的な仕組みがあるのに、なぜ変えないの?」
制度や慣習についてこう思ったことがある方も多いはずです。

けれども、社会の制度というのは、ただ「いいアイデアがあればすぐ変えられる」ものではありません。

そこには、

  • 長年積み上げてきた仕組みやルール
  • それに慣れた人々の行動様式や教育
  • 関係する多くの利害関係者の存在

など、複雑な要素が絡み合っています。これらの要因を説明する概念が、「経路依存性」です。

 不合理な制度を見つけたとき、なんで変えないんだと憤る前に、この言葉を思い出し、導入された歴史的経緯を踏まえると、制度について見方が変わり、より深い理解に到達できるはずです。

 なお、今は、経路依存性という言葉に代わり、レガシーシステム、構造的惰性、制度疲労などの表現を用いて表現することも多いようです。個人的には、これらの表現は、変えた方がいいという評価を含んだ用語(少なくとも言葉遣いは非中立的)に見え、現象の説明としては、個人的には好みません。